小説 多田先生反省記
14.告白
私は康子との手紙の遣り取りを続けていた。筆不精を自認している康子も3日に明けずせっせと近況を書いて寄越す。勿論、必ず速達である。木曜日になれば長距離電話の料金が割引となる8時を目安に電話もかけてくる。私は公団住宅に入居の申し込みを済ませたことを伝えておいた。愈々私が入試の採点の仕事から開放され、合否判定に係る教授会が過ぎ去る日程に併せて康子は仙台から列車を乗り継いで博多まで足を運ぶこととなった。やがて昼になろうという頃に康子が乗っている列車が博多駅のホームに入ってきた。康子は12号車に乗っている。私はプラットホームの端っこに立ってその列車の侵入に見惚れていた。
「もう、こんな遠いところ来ない!」仙台からたっぷり20時間を超える時を要して遥遥やってきた康子の顔はいかにも憔悴しきっていた。
「大変だったでしょう。寝台車では眠れましたか?」
「もっと早く着く汽車もあったんですけど、寝台の下段がなかったので諦めたんです。わたし、窮屈なのと暖房の利き過ぎって気が狂いそうなくらい我慢できないから。それにね…。博多に着く時間がその分だけ遅くなってしまうけど、「あさかぜ」にしたのはね…。博さん、判るでしょ」康子は悪戯っぽく私の顔を覗き込んでいる。
「え?何でわざわざ到着時間が遅くなる列車にしたかっていうことですよね。僕を焦らすため?」
「そんなんじゃなーい。残念でした…。どう、判った?」
「判んない」私はあっさりと兜を脱いだ。謎解きはどうにも不得手だ。
「朝寝坊できるからよ」
「ああ、なるほど!そうですね。あなたは夜型の生活でしたね。いつだって手紙を書くのは皆が寝静まってからですもんね。それにしても、思い切ってよく来てくれました」
「仙台では悪い風邪が流行っていて、小学校なんかは休校のクラスもあったんです」
「そうみたいですね。九州ではそんなことはないし、僕なんかは毎晩アルコール消毒に此れ努めているから大丈夫です」
「ふふふ、博さんらしい」康子は幾らか元気を取り戻したようでもある。「母も風邪気味だったんですよ」
「この間のお手紙にはそう書いてありましたね」
「悪くならなければいいなとは思っていたんですけど、もわたしに移るんじゃないかって、そればっかり心配していました」
「ひどいな、それは」
「だって、わたしに風邪が移って福岡に来られなくなってもよかった?」
「そうですね。お母さんを隔離してしまえばよかったのに…。あ、スミマセン。ところで猫ちゃんたちは大丈夫でしたか?」
「ええ、お電話でもお話しましたけど、生まれた5匹の赤ちゃんは全部、養子縁組が決まりました」
「そうですか。貰われていくんですか」何となく母猫が不憫に思えた。
ホテルのチェックインまでには時間があるので取り敢えず予約をしておいたホテルに荷物を預けて、先ずは大宰府天満宮に康子を案内したが、夜汽車で碌に眠れなかった康子は境内を歩き回っただけでもホトホト疲れたようである。天満宮の参道にある休み処でお茶を飲むことにした。
「最初のお便りは絵葉書一枚かと思い込んでいまして、11枚もあって驚きました」
「いつも汚い字でご免なさいね。わたしって本を読んだり音楽を聴くのはとっても好きなんですけど、文章を書くのって物凄く嫌いだったんです。わたしって字が下手でしょ。だから尚更のこと嫌だったんです。でも今は博さんからお手紙をいただくのと、ご返事を差し上げるのが一番嬉しいです」
「僕もです。手紙を書いていて、我ながらよくもこんなに書くことがあるなあとも思うんですけど…」
「わたしも、そう」
「でも、電話もくれるし、下宿に帰ると手紙が待っていると思うと嬉しい限りです。いつもワクワクしながら帰って来ています」
「お酒を飲みに行ってる時も?」
「ええ、勿論です。タクシーの運ちゃんにもっと急げ!なんて云ったりしてね」
「毎日、電話で声が聞けたらいいのにね。でも、下宿だとどうしても気を遣うから」
「そうでしょうね。おまけに下宿の小母さんは耳が遠いのか、電話がかかってきていても中々電話にでないでしょ。僕からすれば、木曜日の晩は電話がかかってくる日だって解っているから、最初の呼び出し音が部屋まではっきり聞こえるんですけど、いつまでたっても小母さんは気が付いてくれないんで、電話が鳴ってますよーって小母さんに知らせてるんです。勿論、教えてあげるのは木曜日だけで、他の日はほったらかしていますけど」
「公団住宅の申し込みをなされたんでしょ。そしたら直ぐにでも電話をつけられるんじゃないかしら?」
「でも、公団の方は抽選ですからね。はっきりしないんです。電話もどうなるか、まだ判りません」
「わたし、公団住宅のことよく解らなくて、お友達に聞いたら独身だと入居資格がないって言われましたけど…」
「そうなんですって。この申込みに誘ってくれた高来先生から教えてもらいましてね。それで、お袋と同居するということにして、住民票を送ってくれるように実家の方に連絡したんです」
斜め向かいの席に座っている若い女性が西新のスナックで働いている洋子に似ていたので、それが気にかかった私は康子の顔に微かな陰りが出たことに気付かなかった。
一頻り四方山話に明け暮れてホテルに戻った。中州のステーキハウスに案内しようと思ったが、素面(しらふ)のせいかその店の在り処はとんと判らない。止む無く博多駅の地下街にあるステーキハウスで食べることにした。係りの女性が私にエプロンを掛けようとしたのだが、康子はやんわりと断ると、私の後ろに廻ってその手で紐を結んでくれた。目の前で焼いてくれる分厚い肉そのものは旨いのだが、味にしまりがない。
「肉そのものは不味くはないけど、どこか頼りなくて何だかポケーッとした味ですね」
「ええ、わたしもそう思ってました。でも、いいんです。普段は食べる事になるとわたしは物凄くこだわるんですけど、今日はあんまり気になりません」
「この間みたいに三日酔いというわけじゃないですよね…」
「ひどーい!博さんとお話していれば、わたしは楽しいからっ!」
これが何回目かは数えたことはないが、この時も私はだらしなく形相を崩した。係りの女性が妬んだわけでもないのだろうが、食べ終える頃になってその女性は「スミマセン。忘れてました」と云って、タレを二つ寄越した。
「仙台で初めて会った時、康子さんは三日酔いで呑めませんでしたけど、今日は大丈夫でしょ」
「また、言った!」康子は懲り懲りのようだ。「でも、本当の事だからいいわ。今日は大丈夫ですよ。ご案内して下さる?」
「勿論ですとも。大学の近くに行きつけの店があります」
「赤ちょうちん?」
「いや、スナックです。行きましょう」
「わたし、この間はね、夜中になってから飲みに出掛けたんですよ」
「へえ、それは豪勢ですね。お友達とですか?」
「従弟から電話がかかってきて、今、バーにいるから来いって誘われて、母からは非常識だって叱られました。それでね、母が寝てからこっそり出かけて行ったんです。ジンライム二杯飲んで、ザルそば一杯食べてきました」
「次の日、お母さんから怒られませんでしたか?」
「大人になってからは親に反発してきて、わたしの事は諦めてしまうように教育してきましたから…」
「それで今回も博多まで来る事を諦めてもらったというわけですか?」
「そうなるかしら?そうかも…」何となく歯切れが悪い。
私たちは西新のいつものスナックの斜め向かいの店に赴いた。
「康子さんはいつもどんな所で呑むんですか?」
「殆どパブです」
「中々ハイカラですね。矢張りハイボールか水割り?」
「わたし、お願いしてもいいですか?」洋子のような美人ではないものの、顔かたちが童謡からポップスまで幅広く熟(こな)す歌手に似ている若いママさんに康子が聞いた。「日本酒をロックにしてライムジュースを入れたカクテルを作ってちょうだい」
「カクテルなんて作れんけど、お酒とライムと氷でヨカとね?それ何て言うと?」
「侍ロック!」
成る程うまい名づけ方である。私にも作ってもらった。ママさんも飲んでいる。
「おもしろか味やね」
「そうでしょ。ジンライムばっかりだと飽きるから」
「あんた、ジンなんと飲みよぉと?すごかね!わたしなんか飲みきらん」ママさんは新しく入ってきた客にも「ちょっと変わったカクテルば呑んでみん?」と云って勧めている。
「わたし、時々お手紙を書くのが苦痛になってしまう事があるんです」
「そうですか。無理強いしているわけですかね、僕は」
「そんなんじゃないんです。あなたへお手紙を書いている時って、博さんは今頃何をしているのかなあ、なんて考えるんですけど。そうするとあなたが目の前にいるような気になって言葉を失ってしまうんです」
その割にはずっと二人して言葉を紡いできた。
「でも、いつも雪がしんしんと降りしきる情景ですとか、吹き荒れる風を『風の又三郎』に置き換えて書いてくれていますよね。康子さんのお手紙を読んでいるとあなたが眺めている風景がそのまま僕の胸の中に彷彿と浮かんできます。そしてとっても幸せな気分になれるんです」
「わたしって詩人じゃないから上手に書けませんし、お手紙差し上げてから下書きを読んでみると、字も間違ったりしてて…」
そういえば、「物思いに静んでいる」という件(くだり)があったのが思い出された。私は静なる心の内を描き出そうとしたのかと思ったが矢張り間違っていたようだ。だが、そんな事はどうでもよい。今は博多まで会いに来てくれたその直向(ひたむ)きな心意気が嬉しくてならなかった。
幾杯かお代わりをしているうちに夜も更けてきて、私は康子を博多駅の近くのホテルに送り届けて、再びそのスナックに舞い戻った。
「先生、さっきの女の人、誰ね?」
いつも大野や同僚の高来らと来るだけで、女性と一緒だったことはなかったので些か驚いたのだろう。かなり酔っていた私は碌に廻らない呂律でかくかくしかじかと出逢いからの経緯(いきさつ)を語って聞かせた。惚気(のろけ)た積りはまったくなかった。
「ヨカね、先生!そげん顔ばしよってからに。よっぽど嬉しいちゃろね」
翌朝、いくらか二日酔いの面持ちでホテルに向かった。康子はすっかり元気を取り戻したようだ。舞鶴城址を散策しながら私は大野から教えてもらった通りに歴史の解説をした。康子はふんふんと頷いている。続いて博多湾を一望できる小高い西公園を案内した。能古の島を指し示してその島の情景を語ったのだが、康子にはさしたる興味は起こらなかったようである。遠い彼方に目をやっている。
「わたし…」と云ったきり、今度は俯いてしまった。私も黙って海を眺めていると、暫くして漸くまた口を開き始めた。
「博さん、公団住宅の申し込みをされたでしょ」
突然、公団住宅の話になって私は戸惑った。
「ええ、昨日お話した通り、高来先生から下宿にはおられんでしょう、って言われて初めて住まいを考えなきゃと思ったんです。有頂天になっていましてね。あなたとの手紙の遣り取りで気もそぞろになっていて、住む所まで気が回ってなかったんです。もっと早くきちんと考えておくべきでした」
「本当は…。わたし…お別れを言いに来たんです」
思いも寄らぬことばだった。突如としてどうしてこんな事を言い出したのだろう。私は本当に言葉を失ってしまって又もや海に目を向けた。
「わたしは…」間を置いて康子は絞り出すように続けた。「わたしって、いけない女なんです。過去があるんです」
咄嗟に言葉が浮かんでこない。私はなおも黙って海を見つめながら次に云うべき言葉を弄(まさぐ)った。自分の過去を振り返ってみるに、中学校から高等学校にかけて新宿や渋谷界隈を肩で風を切ってほっつき歩いては不良の真似事をして、幾度か補導されて警察で指紋を取られたこともあった。大学生になってからは小学校以来の男女共学という環境に躊躇いながらも、いつしかクラスやゼミの女性とも親しくなった。内田浩子と付き合うようになったのは2年生の後期になってからだ。浩子も直向きに私の考えや行動に合わせようとするタイプの女性だった。私が山歩きにのめり込めば浩子も一緒になって奥多摩の小さな山を散策していたし、果ては北アルプスを縦走しようということになった時には、母親のきつい静止を振り切って、新宿からの夜行列車に飛び乗り、数日かけて一緒にアルプス山脈を踏破した。私が新劇に浮かれていた頃には浩子も芝居に興味を示して、私の新劇仲間との芝居談義に加わるようになっていたし、一緒にアングラ劇場に行ったことも数限りない。学生運動が激しくなってくるにつれて私が左翼思想に気触(かぶ)れ始めると、浩子も様々な集会に顔を出しては徹底的に私の思想を理解しようと努めていた。どこまでも私の想いに彼女の心情すべてを捧げようとしていた浩子だったが、私たちの大学でも紛争が勃発すると、私は突如として右傾化してゼミの担当教授の丸山と学長を擁護する立場に姿勢を転じた。4年生になったばかりの春の事だった。これを機に浩子は私を見限った。その後ぼろぼろになった私の心を支えてくれたのは渡辺節子だった。純な男の恋心をうたった詩集を贈ってくれたりして、荒んでいた私を救い出そうと、私に寄り添うようにして一身を捧げて尽くしてくれた。ある時、ゼミのコンパがお開きとなったその場で節子は「多田君、お相撲取ろう」と云って私に抱きついてきた。後輩の女子学生たちは呆気にとられて私たちの抱擁を眺めていたが、男どもからは「蝉が電柱にぶら下がっているあられもない恰好だ」と揶揄された。節子はすらりとした背格好で学内でも1,2を争う美人学生だったのだ。節子とは卒業してからも頻繁にお茶を飲んだり、食事もしたのだが、指も触れずに別れた相手だった。内藤久美子は妹のように可愛がっていたが、久美子との間には恋愛感情の欠片(かけら)もなかった。私の過去といえばこんなところだろうか。康子も海の彼方に目をやっている。
「誰にでも何にでも過去というものはあります。当然です」森とした静寂を破るように私は海を見たままそう云った。
「そんな意味じゃないんです。わたしは悪い女です」間髪を容れずにそう云って、目を落とした。
「いや、そんなことを云ってはいけません。言ってみれば、今の康子さんをつくってくれた人でしょ。素晴らしい過去じゃありませんか」すんなりと出た私の心の内だった。私は康子をじっと見据えた。
「気にならないんですか?」康子も私の目をじって見つめている。
「全然!関係ないですよ。関係ないっていうのは康子さんの今、現在ということです。そうした経験があるからこそ、今の康子さんがいるんでしょ。それで充分じゃないですか」
「こんなわたしでもいいんですか?」
「僕は過去にこだわるのは好きじゃありません。今と将来を見つめています」
康子も私も能古の島の彼方に目をやった。
「広いんですね」
「向こうは玄界灘ですから」
「いえ、博さんの心です」
その晩は中洲の入り口にあるホテルの和食のレストランで夕食を摂った。私は水面に映る夜景を背にして、この店自慢の獲れたての魚介類と鶏肉の寄せ鍋を注文した。この店にはスナックの洋子と一緒に来たことがあったのだ。味の方は心得ている。鍋に入れる具は康子が扱ってくれている。具の味は勿論、出し汁も上出来である。康子は味加減を頭に仕舞い込むようにしながら一口食べては笑顔を私に送ってくる。続きは昨晩の例にならって同じスナックに赴いた。康子とママさんはすっかり意気投合している。いつしか楕円形のカウンターの向こうに一人の中年の男性が座っていた。気のせいかママさんの落着きがなくなってきた。程無く、酔った大野の目には美人に映ったママさんが遣って来て、その男性の横に並んだ。私の顔をみて挨拶をしたが、その目にとげがある。「誰ね、あん人?」と小声でこの店のママさんに聞いている。暫くしたら例の洋子も遣って来た。寂しげに私に目で挨拶を送ってきた。男性客と一緒のママさんは時折厳しい眼差しを向けてきているが、今夜も康子は侍ロックに酔いしれている。程ほどにして康子をホテルまで送っていった。
「お願いがあります」
「はあ、何でしょうか?」
「今夜は下宿に帰らないでほしいの!」
「ああ、お安いご用です。いいですよ。それじゃ、もう一部屋頼んできます。待ってて下さい」
私はフロントに行って部屋を頼んで、取り敢えず康子の部屋に足を踏み入れた。
「わたしって本当にひどい女なんです」部屋に落ち着いてからまた云った。
「もう、俺の気持ちは判っているよね。俺は過去にこだわるのは嫌いなんだ」私の口調には厳とした響きがあった。
「本当に?こんなわたしでもいいの?」
私はきちんと康子にプロポーズをしていなかった。康子としては私の口からはっきりと云って欲しいのだ。
「結婚しよう!3月になったらお母さんに康子さんをお嫁に下さいと云いに行くから…」
「わたし、こっちに来る前に小さい従妹を連れて「小さな恋のメロディー」という映画を観てきたの。博さん、観たことある?」
「俺は例の通り、ヤクザ映画ばっかりだから…」
「その映画ってね、11歳の男の子と女の子が只々無邪気に愛し合って、お互いに結婚をしたいと思うの。いつも一緒にいたい、唯それだけなのにどうして理解してくれないの?幸せを願っているはずの両親がなぜ私たちの助けになってくれないの?そう言ってその女の子は涙を流すの。わたし、この映画二度観たんだけど、今度も泣いたわ。21歳の時、わたしも同じような事を言って誰かを感激させたことがあるのよ」
「そうか。それで今度は俺を感激させてくれるってわけだね」私は今夜もしこたまお酒を呑んではいたが、だんだん冴えてきたような気がした。「ごめんね。浮かれていて、きちんと俺の方から結婚して下さいって言わないでいて」
「今、言ってもらったからいいの。嬉しい。わたし今夜は眠れないかも」
「それじゃ、ここで飲みなおそうか?」
「グット・アイディア!」
「俺は上がりビールにするけど、君は?」
「上がりビール?」
「そう、仕上げに呑むビールのこと」
「わたしはジンにしよう。トニックウオーターある?」
康子の飲み掛けのグラスに口をつけた。この時になって初めてジントニックという飲み物を知った。
翌朝になって私は下宿に康子を伴った。康子を連れての朝帰りだったが、小母さんがお茶を飲みにくるよう声をかけてくれた。改めて康子を今度結婚する相手だと紹介するとおばさんの顔が綻んだ。
「そうね、ご結婚ばしんしゃぁとですか?うちの娘もこの春に嫁に行くとです」
「そうでしたね。4月でしたっけ?」
小母さんには時々昼飯もご馳走になりながら連れ子の娘さんの生い立ちなど聞かされていた。
「そうなんよ。ほんなこつ、わたしもこれで一安心たい。先生、それで結婚ばしたら家はどげんするとですな?」
「ああ、まだお話していませんでしたが、実は公団住宅に申し込んでいるんです。抽選だからどうなるか分からないんですけど」
「そげんですな。公団なんて入らんで、結婚してもここにおったらヨカでっしょうもん」
雲行きが怪しくなってきたので、私たちは出掛けることにした。大学の中を横切って海辺に行った。博多湾はおだやかだった。細波が寄せてくる。
「去年、博多に来て暫くしてこのあたりを散歩したんだけど、あの時は海の色も違って見えたな」
「そう?どんな風に?」康子は私の顔を覗き込んだ。私は照れた。
「寂しくてどうしようもなかった。4月だっていうのに寒かったしさ。鉛色に見えた、あの時は…」
「そうね。九州ってもうサーフィンなんかも出来るのかと思ってたけど、寒いわね」
「そうだろ。玄海灘から吹き付ける風は冷たいのよ」
「今は?」また私の顔すれすれに顔を寄せてきた
「じぇんじぇん、寒かこつありません!」
「どうして?」甘えた声だ。
「君がいるから!」
「嬉しいっ!」康子は腕を絡ませてきた。「今日の夜行で帰る積りだったけど、わたし今夜も泊まって、明日の飛行機で帰ることにする」私の腕に顔を摺り寄せてそう云った。
「ほんと?そりゃ嬉しい。今夜も一緒にいられるんだ!やったあ!」思わず両手を高く上げて万歳をしたので康子の腕はほどけてしまった。康子は私の前を歩いて振り返って後ろ向きになったまま歩いてみたり、横に並んでまた腕を絡ませてきた。駅に行って夜行の切符をキャンセルし、飛行機は電話で予約した。
「レコード屋さんに行きましょ」
「サイモンとガーファンクルだね」
「そう、約束したでしょ、プレゼントするって」
その晩は出雲蕎麦を食べに行った。
「わたしね、一度、出雲大社にお礼参りに行きたいな」
「えっ、お礼参り?」ヤクザ映画に凝り固まっている私は妙な方向へと考えが移ろいだ。
「お友達がね、去年のことなんだけど、出雲大社にお参りに行ってね、その時わたしの分もいい御縁がありますようにってお願いしてくれて、このお守りを買ってきてくれたの」
康子はそのお守りを出して私に見せてくれた。それで私は「お礼参り」の意味が漸く掴めた。
「ご利益があるんだね、出雲大社って。そう言えば、縁結びの神様だもんね」
「そのお友達はね、ジンさんって言うのよ」
「洋酒みたいな名前だね」
「そうじゃなくて、神様のジン。あなたって、いつもわたしはジンで酔っぱらってるって思ってるでしょ」
「いや、そんな積りじゃない」
「今日も行きましょ。ね、あのスナック。あのお店何ていうの?」
「コーラン、イスラム教とは関係なくてね、香に草冠の花のランっていう字」
「わたし、あのお店気に入った」
私達は又もや香蘭に出掛けて行った。康子がトイレに行っている間にママさんがそっと言った。
「先生、しばらくお向かいのパピヨンには行っとらんとでしょう?昨日の晩に入ってきた男のお客さんはパピヨンのお馴染みさんたい。あん人が来ると必ず後からパピヨンのママと洋子ちゃんのきよるもん。だから、ほら、こう書いとって先生に見せようと思ぉとったけど、なかなかチャンスのなかったと」そう云って「はよ、帰った方がよかよ」というメモを見せてくれた。
「でも、どうして?」
「どうしてって…?」康子が戻ってきたので話は打ち切りになってしまった。折よく新しい客が入ってきた。
「わたしって本当に我儘なのよ。母にも言われたの。わたしは我儘で自分勝手なんだって。自分ではそれ程だとは思っていなかったけど、最近、あなたとお手紙の遣り取りをしていてそう感じるようになったわ」
「へえ、手紙の遣り取りでとは、また面白いね」
「ええ、手紙書く時って、割と自分のこと冷静に見つめられるのね。わたし初めて分かったわ」
「確かにね、手紙を書いてる時なんか自分自身を分析していることってあるね。果たしてこんな俺の姿を曝け出していいのかな?嫌われちゃうんじゃないか、なんて考えさせられる時もあるよ。でも俺は君が自分勝手とは全然思ってないけど…」
「ううん、わたしって勝手よ。だって、嫌だって思う事は絶対イヤで通しちゃうし、言いたい事は誰が相手だって云っちゃうの」
「それはいいことだよ。腹に納めておくとね、どんどんその嫌なことが膨らんできちゃうもん」
「ねえ、博さん!いつ頃、わたしなんかと結婚しようと思うようになったの?」
「お見合いした次の日」
「そんなに早かったの?」
「そうだよ。東京に帰って、俺、結婚するよって云ったら親父もお袋もえらい驚いてさ」
「そりゃそうでしょ。でも、ご両親は反対しなかった?」
「俺の人生だからね」
「わたしはあなたと会ったときからずっと、あなたとなら一緒にやっていけると思ってはいたけど、そのうち絶対に断られるとばっかり考えていたの。だって、母だってそう思っていたし、兄貴も、お前には無理だって云うし…」
「手紙でだってきちんと俺の想いを綴ってきたような気がするんだけどな…」
「そうよ、公団住宅を申し込んだって云われて、あ、博さんって本当にわたしのこと考えてくれているんだって思うようになったの。それでね、お会いしてわたしの本当の姿を見てもらわなくちゃって考えたの。お友達にも云ってきたのよ、振られてくるから慰めてねって」
「あっしが気が回らねぇばっかりに気苦労をかけちまったね、すまねぇ」
「でもさ、こんなわたしをお嫁さんにするあなたは可哀そう…」そう云いながら康子は私の指を弄んでいた。「なーんて嘘!でも、わたし一生懸命慰めてあげるね」
「嬉しいことを云ってくれるね。よろしく頼むよ、カンパーイ!」
「そこでさっきから二人して、そげんいちゃいちゃしよってからに。それにしても、二人ともほんなこつ楽しそうやね。わたしもお邪魔しようかな?」
「邪魔せんでよか!」
「せからしか、やろ!わかっとります。お二人でどうぞ!」可愛いママさんは、たった独りで寂しそうにカウンターにへばりついている別の客の相手をせざるを得なかった。これも人助けだ。
「それにわたしって失敗ばかりよ。この間の手紙ではね、蜜柑の汁をはねてしまったの。書き直す元気もないからそのまま出したけど」
「涎じゃなかったの?」
「もう、意地悪!つねっちゃうから」
「イテテテ!」
何とも他愛なく、飯事(ままごと)遊びでもしているような子供っぽい二人である。
翌日、空港に行く前に立ち寄った喫茶店の店員が帰りしなに康子の白いコートについているふわふわの襟をさすりながら「えらい可愛かね」と声をかけていた。
「もし、飛行機が落ちたら母に言ってね!康子は最高に幸せでしたって」
「そんな縁起でもないこと言うもんじゃないよ。それじゃ、3月になったら行くからね」
「このお守り、博さんにあげる」
康子は出雲大社のお守りを私の手に握らせた。手に残ったほんのりとした温かみを感じながら私は送迎デッキに駆け上がっていった。タラップを上ってゆく康子の白いコートが目に入った。72時間に亘る二人の時が幕を閉じようとしている。どこまでも青い空の彼方に小さくなってゆく飛行機を私はお守りを握りしめながらいつまでも追い続けていた。
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